こんばんは!かさご(夫)です
なんとなんと、とんでもなくご無沙汰してしまいました。約1ヵ月半ぶりの更新!笑
にも関わらずアクセス数をチェックしてみると増加する一方で、、、ただただ感謝です。いつも読んでいただいている方、ありがとうございます。
さて、1ヵ月半ぶりの話題は何よって話ですが、今回のテーマはこの「自由ですけどなにか?」の、さらには僕たち2人の「核心」とも言うべき、「旅」についてです。
さて、早速ですが、皆さんにとって「旅」とは何ですか?
娯楽?ストレス発散?息抜き?食事?夏休み?疲れるもの?本当は行きたくないもの?
きっといろいろあると思いますが、正解はないと思います。人それぞれ、思いついたものがあなたにとっての正解です。
ちなみに僕はと言いますと、いつも「旅」をこう表現しています。
「旅は凝り固まった価値観のマッサージ」
何が言いたいかというと、日本という一つの国、○○県や○○市といった一つの場所にずーっといると、人間は自然とその土地の風習や慣習、価値観に染まっていきます。あまりにも普通に馴染んでいくから、そのままでいればその人は何も気づかず、ある意味ラクなのですが、それが必ずしも自分の相性に合うかは別の話。
ある決まった価値観に従うと、自分をまずその価値観に「順応」させていかなければいけません。これは言い換えれば「本当の自分を殺すこと」でもあり、常にストレスが発生する作業です。さらに「順応」してしまえば、それで得た価値観の「メガネ」でしかこの世界を見ることができなくなってしまいますよね。
こうやって「凝り固まった価値観」を、一気に吹き飛ばして、新しい「メガネ」を与えてくれるものが、僕は「旅」なんじゃないかと思っています。
たとえば僕自身、日本しか知らない間は、ごくごく普通の真面目な学生でした。勉強もがんばったし、みんなと同じレールをただなんとなく進めばいいとだけ思い込んでいた「普通の日本人」でした。
ところが学生時代に海外旅行にドハマり!(これが人生の分岐点。いやー人生って面白い笑)
いろんな国のいろんな街を歩いていろんな人に出会い、なんか今まで20年近く自分が信じてきたものをことごとく破壊されました。世の中、いろんな人がいて、みんなたくましく「生きてる」。自分は本当にこのままでいいのだろうか?っていろいろ考えたりもして。
でもまた日本に帰ってきてしばらくすると、ハッとまた価値観が元に戻っちゃったりなんかして、「日本人」になり過ぎてしまっている自分に気づきます。こうなったらもう航空券チェックのサイン(笑)「価値観をマッサージ」すべく、海外へ逃亡します。
こんな感じで「常に柔軟な価値観を持っていたい」、「世の中の『当たり前』をいろんな角度から考えられる人でありたい」これが僕たち2人が旅をライフワークにしている理由です。
個人的な話はさておき、ここで「旅」とは何かを上手に言い表している、素敵な言葉の数々を簡単に紹介したいと思います。まあ、これも僕のお気に入りの名言なので、個人的かもしれませんがどうかお付き合いを!笑。
「『旅』とは、魂の服を着替えることだ」
「人生から逃げるために旅をしているのではなく、人生が自分から逃げないために旅をしているのだ」
「『tourist』ではなく『traveler』であれ」
さて、ここで取り上げたいのが、いま最後に紹介した「『tourist』ではなく『traveler』であれ」という表現。ここから「世界一周の意義」をちょっと考えてみたいと思います。
ここでいう「tourist」「traveler」は、僕の中でこういう風に解釈しています。
「tourist」:ある一定の観光地に行くことが主目的の観光客
「traveler」:何気ない風景とか、人との触れ合いを楽しみながら観光もする旅人
何が言いたいかというと、「tourist」はどこか有名な観光地に「行ったという事実」が重要。だからなりふり構わず写真を撮るし、自分が「行った」ということをひけらかしたがる。それに対し「traveler」は観光地もそうだけど、何ならそれ以外の小さな路地裏の景色とか、夕飯の匂いとか、そういうのもいっぱい楽しんでいて、その国と直に触れ合っている人。こんな対比ができると思うんです。
それで、ここで「世界一周」の話。
日本人でも世界一周したことがある人はいろいろ会ったこともあるし、話も聞いたことがあるけど、どうやら世界一周「tourist」と、世界一周「traveler」に二分すると思うのです。そして残念ながら、どうやら世界一周「tourist」の方が多い印象をとっても受けるのです。
ではなぜ 「tourist」の方が多いと思うのか。
それは世界一周経験者に限って、「自分は○○カ国制覇した」とか、「あそこにもあそこにも行った」という事実を重要視したがる人がとーーーっても多いからなのです。
確かにいろんな国に行って、数だけ聞くとすごい!って思うかもしれません。でも話をよく聞くと・・・あれあれ、「○○は2日だけ」とか、「○○は1日だけ日帰りで」とか。
何が言いたいかというと、そういう人たちにとって世界一周は「地球を舞台にしたスタンプラリー」と化してしまっていて、とにかく国の数だけ、有名観光地の数だけ、パスポートのスタンプの数だけ増やすことが大事になってしまっているんです。これって明らかに「traveler」ではなく「tourist」ですよね。
それでそういう人に限って、周りの人にそれを言いたがる。何かと旅を絡めて自分のことをアピールしたり。
旅って本来、自分の「内面」を成長させてくれるものだと思うんです。でもそれって、結局自分の「外面」を着飾りたいだけだよね?要するに「他人からどう思われるか」。こうなると旅の意味そのものが逆転してしまっていて、「世界一周」の意味ってなんじゃらほいって感じになってしまうのです。
話はちょっと戻って、「○○は2日だけ」行ったとか言う「世界一周」経験者。
ではここで質問ですが、日本に2日だけ来た外国人が、日本を「知る」ことができると思いますか?東京とか京都とか富士山とか「行った」としても、それは「日本」を「知った」というのとは違うと思います。
日本人がどんな暮らしをして、どんな人たちで、どんな価値観が根付いている国なのか。それらを知るには、2日ではぜんぜん足りませんよね。
だったらこれは逆も一緒。僕たちが海外に行ったら、その国を「知る」のは2日ではまったく足りない。1週間でもまだ足りない。
そしていろいろ旅を重ねるうち、僕らは「1つの国に基本は2週間、最低でも10日間」という鉄則を打ち出しました。やっぱりその国をなんとなくでも「知る」には2週間はかかります。2週間たつと、その国の人たちの暮らしぶりとか、価値観がうっすら見えてきて、なんなら言葉もちょっと覚えてきたり。どうしても日程的にきつい場合は、10日間とれば、ほぼ同様の経験ができると思います。
こうして他の国を「知る」ことが海外旅行の目的であって、「行く」ことばかりに重きを置くのはなんか本末転倒。最近の「世界一周ブーム」を見て、そんなことを思うのです。
というわけで、今日は僕らの「旅」の考えをそこはかとなく書き連ねてみました。
そしてそんな僕らも、なんと直近(11月以降)の「旅」の予定が決定しました!パチパチ
今度の行き先は・・・
ベトナム!(2週間)
マレーシア!(10日間)(色々あって、8日間になりました…w)
ニュージーランド!(1年間)
というわけで、また国外逃亡します(笑)
次に帰ってくるのは2019年になるかな。海外に年単位で行くのは6年ぶり!ドキドキワクワク。全然関係ないけど、ちなみに今一番行ってみたい国は「ネパール」です笑。こんな感じで毎年どこかに行って、その結果、世界のたくさんの国を知れたらいいなぁ
相変わらず我が道を進む「へそまがり夫婦」ですが、これからもこんな自由すぎる2人をよろしくお願いします!笑
もちろんうちのカモも一緒に行くよ!
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