こんにちは!かさご(夫)です!
約1ヶ月に及ぶ旅を終え、先日また日本に戻ってきました。日本寒すぎて震えますが、やっぱり味覚は最高ですね!
そして遅ればせながら、明けましておめでとうございます!今年もますます自由に、自分達の人生を創っていく僕らですが、今日は最近旅に出るたびに感じる「自由」のありかたについてお話ししたいと思います。
というわけで、2017年一発目の旅論!
自由に生きる!で、勘違いしてはいけないこと
僕たちが掲げている「自由に生きる」というテーマですが、これにはある前提が必要です。
それは、他人の自由を損なう自由であってはいけない!ということ
いくら自由と言っても、周りに迷惑をかける行動は「自由」とは呼べません。例えば自分達が楽しいからバス内で大声ではしゃぐ、自分達が楽しいから道のど真ん中でおしゃべりする・・・などなど。
自分の欲求に従うのはとても重要なことですが、一歩間違えるとそれはただの迷惑行為。公道を暴走する若者と何らやってることは変わりません。残念ながら世界にはこういう人たちもいっぱいいますし、こうした「自由」を目指すのであれば、それは大きな勘違いです。
ルールとマナーは別物
いまお話ししたのはマナーの話。どれだけ自由を目指そうとも、最低限のマナーを守るのが条件です。で、「マナー」と言われると連想されるのが「ルール」。それぞれ似ているようで異なる2つの言葉ですが、この相互関係を理解することも重要です。
ではちょっとルールのお話をしましょう。ルールとは、誰かによって定められた規則。日本人が大好きで、同時に自分達を苦しめているもの。本来の役割は最低限のマナーを保障するために、人々を「押さえつける」ものです
よく日本人には自由が足りないと言われますが、それは圧倒的に、このルールが多すぎることが原因だと思います。「~してはいけない」系のルールに代表されるように、時に必要以上に人々の自由を制限してしまうルールの数々。
自然発生的に生まれるのが「マナー」であるのに対し、「ルール」は人為的に作られたもの。そしてだいたい頭の固い人が作ってるものです。その結果、どうなるか。ルールは最低限のマナーを保証する役割だと思うのですが、それが暴走して必要以上に人の自由を奪ってしまっている。これがいま日本で起きていることです。
「猫を電子レンジで乾かしてはいけません」で有名なアメリカなどの裁判社会ではない限り、海外のルールはあってないようなもの。マナーの上に成り立ってるから、ルールに自由を奪われることがない。これが日本と比較したときに自由に見える理由だと思うんです。
ルールは破ってもマナーは守れ!?
というわけで、どれだけ自由に生きると言っても、それはマナーの範疇において、というのが必要条件。マナーを破ったらただの迷惑で恥知らずな人たちです。
ルールに関しては、あまり大声では言えませんが時に破ってもいいかな。(もちろん自己責任ですが。)だってあまりにも理不尽なルールとかありますよね。それはもう「マナーを保証する」という役割を大きく飛び越えて、人の自由を奪っているだけ。作った側の都合で人の自由を大きく奪ってしまうのはルールとは呼べませんし、こういう理不尽なルールが多いから息苦しいと感じるのでしょう。
似ているようで異なるルールとマナー。必要以上に理不尽なルールに縛られることなく、そして常識という概念に縛られることなく、2017も全力で楽しみたいですね。
ちなみに個人的に掲げた今年のテーマがこちら!
「今に生かされるのではなく、今を生きる!」
タスマニアの大自然に囲まれながらバーベキュー。これぞ人生!と思える瞬間を今年もどんどん増やしていこう!