5ヶ月世界を旅をして分かった「世界に足りないもの」

こんにちは!かさご(夫)です

 

約5ヶ月に及んだ旅を終え、先日日本に帰国しました。日本食がおいしすぎて毎日爆食いする日々。それでも太らないから日本食ってすばらしい笑

 

さて、6月のブラジルから始まり、アルゼンチン・(ウルグアイ)・ペルー・キューバ・メキシコと、いつものとおりだいぶのんびりに周った今回の旅。今回もいろんな素敵な出逢い、良い思い出、そして時には悪い思い出もありました。そしてたどり着いた一つの答えがあります。

 

それは「世界に今一番足りていないものとは何か?」という問いに対する確固とした答え。

 

今回に限らず、旅をするたびに思うことなのですが、皆さんは何だと思いますか?

 

 

 

いま「世界に足りないもの」

 

結論から言います。

 

いまの世界に一番足りていないものは「認め合い」です。

 

つまり、いろんな人がいて、いろんな価値観があって、それぞれ大事にしているものがあるこの世界において、他人のそれを「認め」られないということ。

 

宗教の違いから起きる戦争、「変な」地域に対する差別、自分から見て「違う」人に対するいじめ、そのすべてが「認め合い」の欠如によって起こることだと思うんです。

 

「認め合い」が欠如すると、「自分が絶対」と思います。「自分が絶対」って思うと、そうじゃない人を心のどこかで見下します。それがぶつかり合うと「争い」が生まれます。

 

いまの世界を見ていると、「認め合い」が欠如しているケースが多すぎます。もっとみんながそれぞれを尊重しあって認め合うことができれば、きっともっと良い世界になるんじゃないかな。もともと1つになる必要なんてないんだよね。

 

 

 

旅中に出会った、嫌な思い出たち

 

今回の旅中でも、「認め合い」の欠如により、たっっっくさん嫌な思いもしました。

 

一番嫌な思いをしたのが、人種差別!

 

「人種差別なんてもう今の世界にはない」というのは、正直言ってただのきれいごとです。残念ですが。

 

一番多かったのが、街を歩いているだけで、しょうもない人たちから現地の言葉で「日本!」「中国!」とか、何の用もないのに国籍だけ呼ばれたこと。個人的な印象ではキューバとアルゼンチンで多かったかな(※あくまで個人の印象です)。

 

もちろん、親しみをこめて呼んでくれる人もたくさんいます。そういった人たちとの出逢いは良い思い出になりますね。

 

でも中には「うわー日本(中国)!ハッハッハ!※■○∵▽‘*」などと意味のわからない発言をして、完全におちょくって来る悲しい人もいます。「※■○∵▽‘*」の部分は現地の言葉でもありません。ただあいつらはこうやってしゃべるって言うのを表したいがために、意味のない音をベラベラ並べるだけ。中にはその意味のわからない「※■○∵▽‘*」を、直接面と向かって話しかけてくるとんでもない輩もいます。

 

もうね、はっきり言います。人間のやることじゃないよね。

 

それぞれ国籍があって、違う言語をしゃべるのは当たり前!どうしてそういう当たり前の違いを認められないんだろう?

 

アジア人の顔だからという理由で、珍しいって感じで見られるのは別にかまいません。でもそんなことをやっておちょくる理由がどこにあるの?もう本当に理解できない

 

こういう出逢いがあるだけで、その街や国の印象が一気に悪くなったりするのも事実。旅をするのは大好きなんですが、こういう人種差別は本当に嫌いだし、悲しい気持ちになります。もういっそのこと現地の単語なんて一つも分からなければいいのにって思うくらい。

 

みなさんは旅中でこういうときどういう風に対処してますか?

 

 

 

旅行者は加害者にもなりうる

 

そんな人種差別は、いわば旅行者が「被害者」になるケースですが、旅行者は「加害者」にもなりうると言うことを忘れてはいけません。

 

一番多いのが、自国のクオリティやサービスを、現地の人たちに強要すること。これは日本人にもよくあてはまるケースです。

 

以前泊まっていたホテルのフロントでこんな人に出会いました。「なんでこのホテルにはバスタブ付の部屋がないんだ!」とか、「この国に軟水はないのか!水がまずすぎる!」とか、「タクシーの送迎が5分も遅れてるじゃないか!」とかとか・・・

 

それぞれその国には、独自の文化、生活様式があります。場合によっては、それこそ中南米みたいにのんびりした国民性で、停電が多いとかインフラが十分に整っていない国などもたくさんあります。

 

そんな違いに触れる旅行において、自分の中の「絶対」以外を受け入れようとせず、勘違いを吐き散らかす人は、はっきり言ってその国にとって迷惑。旅行なんか最初からしなきゃいいんです。

 

 

自分の「絶対」を外して、旅を満喫しよう!!

 

そんなこんなでいろいろあったけど、今回の中南米旅行をしてあらためて思ったことは、「やっぱり旅は面白い!」ということ。それはいろんな絶景とか街を見るのもそうだけど、一番は「自分の知らなかった世界、価値観、人々に出逢えるから」だと思う

 

きっと世界にはいろんな考え方や価値観があって、その数だけ「選択肢」がある。たとえば日本で何か息苦しいことがあると思っている人は、「それが当然だ!それにあてはまれない自分は・・・」と思わずに、海外の価値観に触れてみたらいい。

 

僕自身、海外での留学生活や旅を通して、人間性が大きく変わった。それはきっと日本では「こうあるべき」と強く思っていたある価値観が、必ずしもそうではないらしいということが分かり、それを自分の中で自分なりに「アレンジ」できたからだと思う。

 

いわば地球上にはいろんな選択肢が転がっていて、自分にぴったりの選択肢を1個ずつ拾っていけばいい。そうすればきっと自分だけの、「とっておきの自分」が完成する。それこそがきっと自分にとって一番理想の自分なのかもしれない。なにも日本の常識だけが絶対だと息苦しくなる必要なんてない。

 

だから若い人にはいっぱい旅をしてもらいたい!旅をすればそれだけいろんな「選択肢」に出逢うことができる。年をとってからだとどうしても自分の中の「絶対」が外しづらくなってしまいがちだ。

 

絶景だけを見て、おいしいものだけ食べてというのも、一種の「海外旅行」だけど、きっとそれは「世界と向き合う旅」ではない。だって自分の中の「絶対」は揺るがないし、自分の「絶対」の視点でしか世界を見ていないから。

 

一回自分の中の「絶対」ロックを解除して世界を見てみたら、きっと「旅」は自分を大きく変えてくれる。そして心のそこからこう思えるだろう。

 

「世界はおもしろい」

 

 

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